金賢姫元工作員 本紙への手紙全文
【ソウル=黒田勝弘】北朝鮮による日本人拉致被害者の一人、田口八重子さんの家族と近く面会することになっている、金賢姫元工作員(47)はこのほど、産経新聞ソウル支局にその心境をつづった手紙を寄せてきた。横書きの便箋(びんせん)5枚に丁寧なハングルで書かれ、田口さんの名前や自らの署名など一部に漢字が使われている。金元工作員が日本のメディアに自筆の手紙を寄せるのは初めて。以下にその全文を紹介する。
数日前、花壇の片隅にスミレに似た、不釣り合いな黄色い野の花が咲いていました。かがみ込んでみたところ、冬の厳しい寒さを耐えしのび、温かい陽光を楽しんでいるその姿はいっそう美しく、崇高にさえ見えました。花々が花を咲かせる春3月が戻ってきました。今年は春の開花は例年より10日ほど早いそうです。
(黒田支局長に)お会いしてから20年近くになると思います。山河が2度も変わるほどの長い月日が、川の流れのように流れました。おぼろげで長い歳月が過ぎましたが、私を記憶していただき、気にかけていただいていることに感謝いたします。
その後、KAL(大韓航空)機事件に関し書かれた記事を読ませていただき、最近も産経新聞に私に関する記事を掲載してくださったと聞きました。私に対しいつも関心を持っていただき、声援していただいていることに感謝いたします。
私はこれまで盧武鉉政権の下で長い避難生活をしてきましたが、韓日両国政府のすすめで私と田口八重子氏の家族との出会いが近づいております。日本のマスコミはこの出会いに大きな関心を持っていると聞いています。
紆余(うよ)曲折の末、ついに実現することになったこの面会を考えるとき、私の心はあふれんばかりです。この出会いが個人的な喜びに終わるのではなく、韓日両国がお互い理解し協力する空間に拡大することを信じています。
また今回の面会は、北韓(北朝鮮)によって離ればなれになった両国の離散家族にとって、家族とは国家におとらず大切で貴重なものであるということを教えてくれる時間になることでしょう。
しかし、北韓のどこかの空の下で苦しんでいる田口八重子氏は、夢にまで見た彼女の子供と自分が、彼女に代わって会うのだということを知らずにいます。
1歳になる息子をおいて北韓に拉致された彼女は、30歳を超える成人になった息子、飯塚(耕一郎さん)のしっかりした姿を、これまで想像の中で描くしかなかったでしょう。彼女が30年間、別れた子供に会いたいと思いながら流した涙はどれほどだったでしょう。
以前から彼女の兄、飯塚繁雄氏と息子、飯塚耕一郎氏は、拉致された人たちの送還のための救出運動を展開してきました。
今、その息子が成長し、母の救出運動をしているという事実を彼女が知れば、そして彼が母の話を聞こうと韓国で私に会うという事実を知ったなら、彼女は喜びのあまりその大きな瞳から、また涙を流すことでしょう。
そうして彼女は新たな希望を抱き、子供に会える日を首を長くしながら、生きていくことでしょう。
私もまた北韓に懐かしい父母や兄弟がいます。しかし私の家族の生死を知ることはできません。私が家族との生き別れを運命だとそのまま受け入れるには、この世はあまりにも恨めしく、過酷です。田口氏の息子がそうであるように、私が母に会いたいという心情はどうすることもできないのです。
現在、韓国と日本には北韓による数多くの拉致被害者家族がいます。特に日本政府の努力にもかかわらず、2002年9月以降、拉致被害者の送還は低調というのが実情です。本当に、どうすれば北韓当局の体面を生かしその心を動かすことがのできるでしょうか。
「至誠感天(真心であたればその思いは天に通じる)」といいます。私が田口氏の家族との面会を前にしているように、日本政府が北韓当局の閉ざされた心の門を開かせ「ついに田口八重子がその家族と会えるようになりました」という1面記事が、マスコミに報道されることを祈っております。
2009年3月初旬 金賢姫